置き薬の歴史

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富山売薬の始まり

富山の配置家庭薬販売業は、江戸・元禄のころ、富山藩二代藩主、前田正甫によってはじめられたとされています。

富山をクスリの町として有名にしたのが大名腹痛事件です。ある時、江戸城によばれた際に、殿さまが突然激しいお腹の痛みで苦しみだしたのです。そこに居合わせた正甫公が、いつも印籠にいれて持ち歩いていた「反魂丹」を取り出し与えたところ、たちまち痛みはおさまりました。それを見ていた諸国の殿さまたちは、反魂丹の効きめの確かさにおどろき、自分たちの国でも売り広めてくれとお願いしたそうです。

これまでの富山藩は稲作中心の藩でしたが、豪雪や自然災害の影響で豊かな藩ではありませんでしたので、気をよくした正甫はクスリを富山の中心産業にして、貧しく小さな富山藩を豊かにしようと考えたのが始まりです。

ちなみに「反魂丹」とは、20数種類というたいへん多くの薬種を調合する製造の難しいお腹のクスリで、万代常閑(もずじょうかん)という医者が作ったクスリのことです。

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「先用後利」と懸場帳

富山のクスリは「先用後利」という独特な商法で売り広められました。反魂丹や奇応丸といった幾種類かのクスリをセットにして、あらかじめ家庭に預けておき、1年後などにまた訪ねて行って、使ってあるクスリの代金だけをもらい、同時に使われたクスリを補充するとい方式です。

この方式だと、クスリが必要なときに、お金のあるなしに関わらずクスリが飲めるため、現金での収入が少なかった江戸時代の農村・漁村で、大変喜ばれました。

売薬さんがまわる区域のことを「懸場」とよび、クスリがどこにどれだけ預けてあるかを記入しておく帳面を「懸場帳」とよびます。懸場帳でどの地域のどの家に、どのようなクスリをどれだけ置いたか、前はいつ訪問したかがわかり、いわば、各家庭の健康管理を総合的に管理したデータベースの役割をしていました。

現在では、「懸場帳」がシステム化により端末での管理によってその役割を担っています。